あの子は私を待っているのでしょうか:時間と待つこと、そして先に行くのは誰か
「玄関であの子が私の帰りを待っている姿ばかり思い浮かべます。それなのに、私のほうはまだ行けない。そこがいちばん苦しい。」
その怖さの下にあるのは、扉ではなく時間です。あの子の時間と私たちの時間、そして誰かが数えているのかどうか。
一、神の時計は私たちの時計とは違います
ペテロの手紙第二 3:8
"But, beloved, be not ignorant of this one thing, that one day is with the Lord as a thousand years, and a thousand years as one day."
ペテロはこれを、待ちくたびれた人たちに書いています。答えは「もっと速く待ちなさい」ではありません。時間は、あなたにのしかかるようには神にのしかからない、という答えです。
だから「あの子が扉の前に立って時計を見上げ、だんだん不安になっている」という絵は、私たちの側の時間で描かれたものです。日を数えているのは私たち。一年が長いと感じるのも私たちです。
二、神は人の心に「永遠」を置かれました
伝道者の書 3:11
"He hath made every thing beautiful in his time: also he hath set the world in their heart, so that no man can find out the work that God maketh from the beginning to the end."
後半のことばが、あなたの痛みの多くを説明します。神は人の心に永遠を置かれました。切り替えのできない、無限への感覚です。だから有限の待ち時間は耐えがたくなるし、「もう二度と会えない」という言葉を、私たちの心はどうしても受け取れません。
この痛みは故障ではありません。このいのちより長い何かのために、私たちが造られているという合図です。
三、待つ方向は、実は逆向きです
サムエル記第二 12:23
"But now he is dead, wherefore should I fast? can I bring him back again? I shall go to him, but he shall not return to me."
最後の一文をもう一度読んでください。私は彼のもとに行く。しかし彼は私のもとには戻らない。 ダビデは動く方向を片側だけに置いています。そして動くのは、生きている側です。
これは静かで、少し楽になる事実です。方向が「私たちがあの子のところへ行く」であるなら、あの子は扉の前に取り残されて、あなたがいつ来るかを何度も見上げているのではありません。日を数えているのは、私たちのほうです。悲しみとは、この側から見た「待つこと」の姿です。
そのあとダビデが食事をし、生き続けられたことにも注目してください。彼は子どもを愛することをやめていません。ただ、子どもの時間表を背負うのをやめたのです。
四、誰ももう待たない朝が来ます
ヨハネの黙示録 21:4
"And God shall wipe away all tears from their eyes; and there shall be no more death, neither sorrow, nor crying, neither shall there be any more pain: for the former things are passed away."
もう死がない、というのは、もう待合室がないということです。誰かが欠けている年が、もう来ないということです。最後の章は、あの子が待ち、あなたが歩く長い廊下ではありません。
それまでは、あなたの待ち時間は空回りではありません。愛がまだ使われている時間です。記憶の中のあの子に、目の前にいる人に、神が今も新しくしておられる世界に。
耐えられない夜のための三つのこと
あの子は時計を見ていません
私たちの年と神の一日は、同じ物差しでは測られません。時間への不安は、あの子が負っているのではなく、私たちが負っているものです。
向きは、あの子のほうへ
「私は彼のもとに行く。」置き去りではなく、待ち望まれている。それは別の一文で、あなたが繰り返してきた言葉よりずっとやさしいものです。
待つことを、備えることに
「その日の自分」に望む姿で生きてください。愛し続け、正直でいて、名前を呼び続ける。備えながら過ぎる待ち時間は、無駄ではありません。
「父よ、あの子が待っていて私が遅れているのではないかと、ずっと怖かったのです。
時間が私の手ではなく、あなたの手にあることを感謝します。
不安ではなく、備えて生きられますように。そしてあの朝、あの子に会えますように。アーメン。」
こんな祈りをしてみてください
「主よ、あなたは千年を一日のように見ておられる方です。あの子をあなたの時間の中で守ってください。
そして私を、私の時間の中で支えてください。誰ももう待たなくてよくなる日まで、一日ずつ。アーメン。」
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みことばが、これからも寄り添うように
この記事の聖句はすべて聖書から引用しています。虹の聖書ウィジェットなら、いつでも聖書を読み、毎日の聖句ウィジェットを設定できます。会いたい日に、小さな灯りとなりますように。

